介護日誌 怒涛の2022②
(続)
7/15(金)雨
出かけてくるよ、と母に告げる
仕事だと思っているようだ
金曜日は生ごみの日
ゴミ袋9点を往復しながら指定場所まで運ぶ
重さと暑さで汗が噴き出る
業者が来るまでに衣類等を袋に詰め込む作業がつづく
10時 来た! 2tトラック2台 2t平台1台が目の前の道路に横づけ
スタッフは計6人
各場所に配置しガンガン物を出す
1Fの親切な新入居者さんに会う お米、トイレットペーパー、ティッシュペーパーを数十個差し上げた
今思えば大量な数は逆に迷惑であった
向かいのケアセンターに未使用のタオル45L袋2袋分、洗濯洗剤数十個ほど母がお世話になったと分配した
こちらもありがた迷惑だったかも
昼休憩に入る
ホテルに戻りお弁当を食べて、後で迎いにくるからね、と伝えると同時に業者から作業が終わったと連絡が入った
早い!予想では夕方までかかると言っていたが・・
コンビニで現金を下ろして、急いでマンションに戻る
すっからかん
物が無い
スプレー缶、食品の汚れた瓶、化粧品以外は何も無い
ありがとう、とお礼を言い現金を渡す
助かった、終わったと安堵したがこの後の掃除が未だあった
掃除機かける時間だけ待ってもらい、掃除機も最後に引き取ってもらった
残るは手作業
部屋の壁はカビだらけで壁紙はボロボロと剥がれ落ち
畳も変色していてとても住める状態ではない 無残だった
病気にならなかったのが不思議なぐらいだった
そして捨てる予定の新品タオルで壁、床、洗面台、キッチン、トイレを少しでもキレイにみえるように拭きまくる
土だらけのベランダは何度も水で流してタオルで拭き上げる
もう限界だ
いくらなんでも経年劣化だけでは済まない
敷金は戻るどころか原状回復費用に幾らかかるのかと諦めた
最後のゴミを詰め込み、駅前の交番の様子を見ながらロータリーのゴミ箱に投げ捨てる
申し訳ない
これは犯罪だろうか
ゴミがこれほど厄介なものとは改めて感じた
この世はホームレスは生きていけない
指定の場所に指定の袋に入れないとゴミが出せないなんて
7/16(土)雨
夜中の3時 母が騒ぎ出した
あれが無い、これが無い、と案の定始まった
8:40 TAXIでマンションに連れて行き、空の部屋を見せる
全てリサイクルに出したよ、と虚偽の説明を加える
9:00 管理会社の人と立会
部屋をじっくりと見まわす
換気の蓋とキッチン排水口の蓋が無くなっています、2000円です
クリーニング代3万円です、と!
ビックリしたことに、敷金は返金すると言う
最近はフローリングが人気なので床は家主が張り替えて次の入居者に備えると言う
9:30 最後のTAXI そして最後のTAXI券 これは本当に助かった 習志野市役所に感謝です
ホテルをチェックアウト
10:07 リムジンバスに乗り羽田へ
午後イチの便に変更が出来て12:45発に乗り込む、と同時に自然と深い眠りについた
北海道遠軽町へ帰宅
問題は母の疑問符
幾度もあれはどうした?と聞き返す
リサイクルで全て生かされているよ、と説明するが生涯言い続けるだろう
少し強引だったかもしれない
でもこうしなければならなかった
数十年溜め込んだ物はとんでもない量と質であったのは事実だ、と自分に言い聞かせ奮起する
よく耳にする 「ゴミ屋敷」 「生前整理」
3泊4日で良くやり切ったと、思っているのはきっと私たちのエゴだ
その後幾日も
あれが無い、これが無いと、母は現実に引き戻された
ごめんね、でも仕方無かったんだ許してね、と胸が痛む
END
ここまでは一緒に同居するまでの回顧録でした。
しかし、認知から罵倒、介護へと続いていきます。
頑張りすぎないで、と介護を経験している周りの人々にお言葉を頂きます。
ありがとうございます!
そして家事、仕事と協力してくれる主人に感謝です。ありがとう。