介護日誌 怒涛の2022①
介護に至るまでのダイアリー総集編です
思わしくない表現も含まれているかもしれません、ご注意ください
6/28(火) 時は初夏
マンションオーナーに電話をかけた
最後の立ち合いは7/16(土)と決まる
電化製品のリサイクル,不用品回収業者,着物・毛皮買取業者,ゴミの日などなど
3泊4日のスケジュールを立てる
7/1(金)
小林病院 脳外科 桐山Dr
娘さんが言うのだから間違えないでしょう!やっと物分かりのいいDrに会えた
認知を遅らせる薬を得ることができた
7/4(月)
母の妹から着信
兄嫁がすい臓がんんで亡くなっていた事を聞いた、母には伝えてあったらしいが覚えていない
兄は養護施設に入ったらしい
夕食時にこの話を持ち出したが母は全く覚えていない
7/6(水)
兄のいる施設へ電話するが、何となく聞き取れる程度
脚が悪くなり車椅子生活
コロナの影響でガラス越しでの面接は可能だそうだ
近い内に会いに行くと約束した
7/8(金)
大工の稲葉さんに手摺りを付けてもらう
7/9(土)
遠軽千人踊り 3年ぶりの開催
ヤマト運輸の子会社であるヤマトホームは家具一点だけでも送ることが出来る
大した物は無いが、幾つか物を運ぶことになるだろう
7/13(水)雨
いざ出陣!
マンション片付け一日目
空のスーツケース大2個を預け、小2個機内持ち込み
9:35女満別空港発 11:20リムジンバスに滑り込む
新津田沼駅前にリムジンが停まり、目の前のベッセルホテルへ
1階には東武ストアーがあり、弁当を購入し部屋で昼食を済ませる
14:00 駅前なのでTAXIは直ぐに捉まえることが出来てマンションへ向かう
申請してゲットしてあったTAXI券を今回全て使い切るつもりだ
先ずは大きな和ダンス、洋ダンスの衣類等を出して全て45Lのビニールに入れていく作業
母に貴重品を確認してもらっている隙を見ながら、隣の部屋でバレないように作業をすすめる
15:00 最初のリサイクル業者が見積にやって来たが金目が無いと分かると悪態づいた、よくあるヤバい業者だ
と、直ぐに次の買い取り業者がやって来た、何でも買い取ると言っていたが目当てはやはり貴金属だ、キャットミンクのコートは引き取れないと言う
その間にゴミ廃棄処理業者が見積りに来た 価格は40万円・・・電話で話していたより遥かに高い、実際はそれだけ予想もできなかった量なのだ
その直後2社目の処理業者が来た、価格は32万円・・・少し安いが何となく不安がよぎる
狭い部屋に6人? 7人? 8人?てんやわんやとはこのこと
どれだけ溜め込んだのだろう、資源ゴミを数十個をまとめ、ドアの外に山積みにする
ホテルに戻ったのは19:00 ビジネスホテルはコインランドリーもあり便利だ
回している間シャワーを浴び、向かいの居酒屋で生き返った、そして死んだように眠りにつく
7/14(木)雨 二日目
気が気でなく朝5時に起床、今日の作業を再確認する
午前中はホテルで待っているように母へ伝えると、仕事ね、行ってらっしゃい。と母
朝7時、下のストアーが開店する時間、開くと同時に段ボールを大量に頂戴してマンションへ
先ずはゴミ出し
毎週木曜日は資源ゴミの日である、空きビン・空き缶・古新聞で3階の階段を何往復したか
6月の東京は蒸し暑い、熱気と重量で一発目からダウンしそうだ
次は荷造り 必要な大型時計、宝石箱、重要な書留、レコードプレーヤー他2点、電話ルーターも返品するため箱詰めする、貰った段ボールとガムテープが役に立つ
後は全て処分、次から次へ袋に詰める
途中で気が付いたのだが、ツルハで購入して持参したビニールが全滅、破れてしまった
マンションに大量にあったビニールは厚手で全くビクともしない
読売新聞が勧誘に来るたびに持ってきたビニール袋、時代と共にプラスチックも変化したようだ
他にも新聞屋からもらった洗濯洗剤が大量にある、誰かに引き取ってもらわないと・・・
冷蔵庫の生ごみをまとめる、生ものや液体は業者は持って行かない
部屋はごちゃごちゃで歩くところもない
3社目の処理業者が見積に来た、価格は80万円・・
緊急だと分かると相手は吹っ掛けてくる
この短い日数で相見積りとは思わなかったのだろう
昼にホテルに戻り、3人で昨日同様に弁当昼食
手際よく、人当たりの良かった最初の業者に依頼の電話をした
母も連れて、TAXIで再びマンションへ
着物買取業者が直ぐに来るが13品で数百円、驚いたが捨てるよりはマシだ
そして先日ダメだったキャットコートなど3点を8500円で引き取ってくれた、写真撮影とかの衣裳に回すらしい
ヤマトホームが来た、小引き出し一点と段ボール箱詰め計9点を運び出す
18:00 TAXIでホテルへ この日もランドリーフル稼働、酒を大量に浴びて死んだように眠りにつく
つづく